包み込むようなパワフルな歌声でアジアを魅了するシンガーソングライター。
幻惑的なほど細やかに感情を込め、言葉が分からなくてもすべて伝わってくる歌と歌声。
2006年台湾ミュージックシーンに強烈なインバクトを与えた、天才新鋭ミュージシャン"ゲイリー・ツァオ(曹格)"
意志の強さを感じさせる、その歌声が感激を与える。
抜群の歌唱力と独特の音楽センスを併せ持つ実力派シンガー。
マレーシアで生まれて、9歳からカナダで姉と過ごすことになる。そして姉の影響で耳にしたベビーフェイス作曲、キャリン・ホワイトが歌う「スーパーウーマン」で音楽に目覚めた。その後15歳で単身ニュージーランドへ。
ニュージーランドにいた17歳の頃、音楽をやってる二人の友達と一緒によくデモを作ってました。ある日、その友達とゲームセンターでストリートファイターをやってたら、横で対戦したタイ人が中華圏の人気スター、"アーロン・コック(郭富城)"の知り合いで、曲をくれれば渡すよって言うんです。4曲のデモを渡して4カ月後、アーロンのマネジャーから電話してきて、3曲使いたいって。
1999年アーロン・コックのEP『渇望無限ASK FOR MORE』に「只有你」「我了」「我的問題你沒回答」の楽曲を提供した。
19歳の夏休みにマレーシアで歌唱コンテストに出たら、入賞は逃したけど、マレーシアのワーナーが気にいってくれて、2001年マレーシアで歌手デビュー。1stアルバム『曹格 同名専輯』をリリース。マレーシアの音楽賞で、最優秀新人などを受賞。残念ながら爆発的ヒットに至らず、歌手としての道を閉ざされてしまう。実はそのコンテストのゲストが"ワン・リーホン(王力宏)"で、がっかりした彼を見て、「ゲイリー、惜しかったね。君の声は本当に特別。努力を続ければきっと多くの人に聴かれると想う」って言ってくれたんです。
2003年、拠点を台湾に移して音楽活動を再スタート。
マレーシア華僑である彼を台湾に呼び寄せ、プロ・デビューへと導いたのは、アジアを代表する音楽プロデューサーの"トゥ・ホイユァン(涂惠源)"。その後2年間"ゲイリー"は、トゥ・ホイユァンによる厳しい音楽指導や、マーケットの動向を掴みながら、他のアーティストへの楽曲提供等も多く手掛けていた。同年台湾の人気シンガーソングライター、"ホァン・ビンユエン(黄品源)"のアルバム『感謝情人~君にささげる』に収録されている「不要害怕~怖がらないで」、台湾の人気グルーブ"S.H.E"のアルバム『Encore』に収録されている「大女人主義」、アルバム『不想長大』に収録されている「星星之火」の楽曲提供。
2005年、中華圏の人気シンガーソングライター、"マイケル・ウォン(光良)"のアルバム『童話』に収録されている「少年」のデュエット参加と編曲でアレンジを手掛けるチャンスに恵まれる。最近では、台湾の人気アイドル
"シンディー・ワン(王心凌)"のアルバム『Cyndi with U』のヒットナンバー「睫毛彎彎」等が話題となり、注目されている。
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